精神統一に必要な知識

脇長生

6.正しい精神統一法

  さて、再び精神統一の話題に戻りますが、心は諸種の霊魂から構成されていることから、例えてみれば、精神統一を「分離器にかける」という意味で理解している人があり、あるいは重々しく「何々術」と名付けている人もいます。そのような主張をしている人たちの中には、心身相関の原理を組み合わせて、「バラバラの心を集中させ、分離器にかけて一つのものを取り出してしまえば、結局は健康も増進するだろう」と考えている人がいるわけです。しかし、それは間違いなのです。

  さて、これまで私が精神統一がなぜ大切なのかということをお話ししてきたところですが、同様のことは私が編纂した「精神統一入門」(1961年刊)の中で、浅野和三郎先生は、「私たちの主唱している精神統一とはこれこれだ」という核心を分かりやすくお書きになっておられます。

  それを要約すると、精神統一は必ずしも神前や仏前で拝まなくてもできます。また心理学的精神統一というものもあり、坐禅や静坐法なども広義には同類であるといえます。ただこのような方法によって分離器的役割を担わせ、あるいはわれわれの主張している方法を真似して行ずれば、精神は爽快となり、同時に精神が集中するばかりか、肉体も健康になるはずで、必ずこのような結果が出るかとなると、結局は思うようにいかないことが多いのです。それは、いろいろと解決しなければならない問題がいくつも横たわっているからです。

  さらに、それらの統一法によって、その人の将来のすべてが、そしてその人の本来的な目的が達成されることができるかどうかということになると、多くは必ずしも期待通りの結果は得られないのです。

  そうでしょう?祈願をする。信念でひたすら精神統一状態の一つである沈思黙考とか、心を落ちてつけて拝んでいても、神に通じているのかどうか分かりません。したがって、思うように行くとは限りません。たとえば、一生懸命に静坐法を実修しても、目的達成の到達できるかということはよくわからないでしょう。

  「精神統一入門」の序文に書いておきましたが、私はかつて結核を患った者なのです。当時、私は何々式静坐法を実修した。それにもかかわらず結核が徐々に進行していきまた。そこで、それらとは別の統一法を実修したことによってこの結核を治したのです。

  このことから、この違いはどのようなところにあったのかということを考えなければならないのです。

  静坐といわれる方法を行じるとか、あるいは今までお話してきたいろいろな名前を付けられた「黙祷」を含めて、祈るということも、静坐をすることも、皆同じ精神統一だといいますが、そういうものの中で、間違っているものがあり、また勘違いしているものもあり、もちろんその中に正しいものもある。その正しいものとは、何によって客観的に正しいと断定したらよいでしょうか。また正しいと奨励すべきでしょうか。その場合の正しいという判定基準となる物差しこそ心霊科学において行われるべきなのです。

  ですから、心霊科学というこの物差しで「もの」を判断して、初めて「良い」「悪い」が批判できるわけです。私は、皆さんがご存知のとおり、心霊科学ではあるが、さらに進んだ霊魂研究によって実証した上で、皆さんに申し上げているのです。

  霊魂科学によって正しいもの、正しからざるものが真に区別される。その「正しい」と判断したもののうち、ことに霊魂研究の結果によって、私たちの主張するところの精神統一がそれに該当するのです。そこで、その検証が何によって行われたかについて、私たちは「霊魂研究の結果である」とか、「神霊主義による」などと付け加えているわけなのです。これらのことを皆さんにもよく考えていただき、すでに精神統一を実修しておられる方も、これから実修しようという方も、これらの詳細を承知していただかなければならないということを申し上げました。

  精神統一の類は単独で実修することは甚だ危険だと普段から申しておりますが、それは、私たちの心をつくり、精神の構成しているものは諸種の霊魂であることから、残念ながらそれらの大部分は、いわゆる悪い霊魂(未発達霊)であるという調査結果が出ているからなのです。ですから、単独で統一を実修していると、ただ拝んでいてもご利益がないと同じように「効果を奏せず」どころか、かえって逆効果さえ生じてしまうのです。その点について私は「危険である」と指摘しているのです。

  ましてや、その方がもつ好ましくないところの性格や個性的なものが、さらに増強され悪化するということにもなります。すなわち、それは「我が強くなる」ということです。

  かつて機関誌「心霊と人生」で、「正しい精神統一を実修しなければ、統一しながらも、我が強くなりますよ」ということを浅野正恭先生は指摘しておられます。問題は、統一を単独でやることは、指導者のいない統一であるために、その人に関わる解決しなければならない問題が山積みだからなのです。

  ところが、霊魂研究、すなわち神霊主義からみると、先の例で、あの10の霊魂たちがわれわれの心を構成しているわけですが、その中心に守護霊団がおります。この守護霊団とは、守護霊、支配霊、補助霊から構成されており、とくに守護霊は守護霊としての任務達成という役割と、その人間に与えられている使命を早く遂行させる目的で支配霊など補助的な霊をつけてくれている。このようにして、守護霊は、その人間の使命達成と、その人間の健康を助長させようとして働いてくれているわけです。

  指導者は、その人と守護霊と直結させることが任務であり、同時にそれによって使命の達成を希求しているのです。霊魂研究に目覚め、心霊科学から神霊科学に目覚ている方は、神霊主義的な統一をしようとしてこの協会にお越しになることで、そのことを自覚していただけることだろうと思います。

  いま申した守護霊団だけの背後となり、その方に課せられている使命達成を遂行すること、これが理想的なのです。ところが、私たちの心というものは、千々に乱れるという場合が多い。人間は社会に生きており、また社会的向上を行っているわけで、その影響力は大きいのです。そうした中で、私たちは一つにまとまったこれでいいという、その統一下の心がいつ乱されるかも分かりません。私たちは心を乱したらいけないと思い、いつも守護霊団の応援の下に生きているのだと期待をし、希望をもっておりましても、たとえば社会との関係から、その家族、一家が乱れるということで、その方面から自身が大きなマイナスの影響を受けることになるのです。したがって私は一家というものを特に重視としているわけです。

  ところが、人間の背後、その心を構成しているものの中には、守護霊団のほか、悪邪霊、未発達の霊魂がうようよしているのです。そのうちの悪邪霊や未発達霊たちが家族のどなたかに憑いてつよく働いている場合には負けてしまうのです。一応負けるのです。善と悪との力関係でいうと、必ず悪の方が強いのです。けれども、ある時期がくると、反省とか良心によって善というものが上に浮かんできて、彼らに打ち克つことになります。そのような意味合いの守護霊団だけを残したいと思っているのです。またそのような方向に目標を定めること、それがこの精神統一なのです。

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