精神統一に必要な知識

脇長生

3. 精神統一実修の条件

   精神統一を実修するためには、まず「資格」が必要であると、日頃からお話しているとおり、精神統一を実修する方が心得なければならないことがあるわけです。それらの条件を全部満たしていれば、統一の際に不都合なことが起こらないということであります。

   とはいえ、その条件を具体的に説明せよと言われても困るのです。それは、すべて霊魂に関すること、あるいは統一に関することというのは、ずいぶん複雑で、常識では理解し難い、結局複雑怪奇と解されかねないからです。ですから、常々申しているとおり、統一を実修される方はその度毎に何でもお尋ねくださればお答えすることにしております。脱線ばかりしていますが、脱線するほどに霊魂に関することは奥が深いということになります。

   統一によって善い霊を働かせる。支配霊を働かせる。支配霊が納豆菌の代用になった。そういうことであるとそのまま捉えられると変な話になる。けれども、代用ではなく、そういうことも含めて、実際には、私たちの背後で健康管理を行ってくれている支配霊という存在が、守護霊の配下にいるということなのです。

   ですから、私たちはそれら末梢の事柄まで心を振り向ける必要はないのです。大雑把な考えで正しい統一を行っていれば、健康は管理されております。すなわち、その管理するところの支配霊が働き、しかも必要とあれば、補助霊までつけてくれますから、心配はいらないわけです。

   そこで、統一実修を行っていた人が病気をしたということになると、重要な意味を持ってくるのです。それは正しくない統一を実修していたということですが、そこで考えなければならないことは、実修されている方がどういう態度で統一に臨んでいたかということになるのです。その方が何か必ず反省を促す事態に立ち至っているということを示しているのです。けれども、その方を責めているというわけではありません。統一ということは複雑な過程があるのだし、複雑な要素を持っているからです。そこで、それに気がつかなかった。あるいは欠けていたということを発見したわけですから、そこでしばし考えてくださればよいのです。「何か条件が欠けていたために、そのような状況に陥った」ということをですね。

   一方で実は、指導者はいつでも背後の整理をしているのです。したがって、ご本人が、指導者が整理しているにもかかわらず、ご自身の意思で悪霊を働かせたということになっている。ここで、悪霊をいう言葉は耳障りですから、未発達霊と言っておきましょう。

   ともかく、これから統一を実修される方は余程の覚悟をきめて、統一に関する資料を仔細にご覧になりながら、自分が統一のためにやるべきことを明確に意識され、その上で一歩一歩地道に準備を整える作業を行っていただく必要があるのです。そこを理解され、しかも現在実修されるところまで勉強されている方々には、その点をあらかじめ是非忠告しておきたいのです。統一実修をはじめるまではそれに対する熱心さがあったが、統一を開始してみると、どちらかというと理解力が悪くなったと言えるくらいに、頭の働きが鈍くなってしまった。

   統一をはじめると同時に、何か別な考えを持った。このような状態はどういうことかというと、統一を許されるまでになったんだから、これで良い。このまま統一をしていれば、それで良い。こういう安易な気持ちが統一をやりかけたと同時に生まれてきたと言いますか、こういう心持ちが生じたのではなかろうかと推察されるのですね。実のところこのような例は少なくないのです。すでに統一実修をなさっている方は、ご自身で振り返ってもらえればいいわけです。

   しかし、それがだんだんと高じてくると、これから私が話すつぎのような事態になりかねないのです。

   ちょっとその方の身辺に都合が良いことが起こると、それを守護霊の働きに結びつけて考えるのはよいのですが、「ああ、守護霊が働きかけたな。統一のお陰だな」と考えずに、「統一による当然の結果だ。ようやく守護霊が働きかけたか。ああ、そうだろうな」と思ってしまう。

   ところが、次の日に失敗したとなると、皆さん、いつも笑われますが、びっくりしてしまって、「はてな。昨日は守護霊が働いたが、今日は未発達の霊が働いた。まったく昨日のあの守護霊というのは、悪霊にたぶらかされてしまったのかな」と落胆して考えられる。そこで、つぎの日になると、「反省しなければいけないのだな」という気持ちを持って、さらに1日おいた先に、ふたたび良いことがあったら、「ああ、やっぱりあの反省から守護霊がいよいよ働き掛けたな」と思う。……私が想像するのに、このような考え方をしておられる方が多いのではないでしょうかね。

   統一とは、そんなものではないのです。統一によって完成されたならば、統一後はなお一層しっかりした気持ちで意念の統制の道を意識して行かなくてはなりません。さらに勇気をださなければいけないと言っているわけです。ですから、うっかりできませんよ。

   統一をされている方の中には、「そのようなことも意識できないままで、どうなのかな」と思われる方がいらっしゃるのですよ。まだ統一をされていない方にはよく聞いておいて欲しいのです。現在統一をされてにいる方は、そんな方が多いのです。

   皆さん、偉そうな顔をしている人がいたら、「ああ、この人もか」と思ってやりなさいよ。その人がとうとう風邪を引いて寝込んでしまった場合には、「いよいよもって、先生の言う通りだな」と考えたらよいのです。そこで、ご自分はそうなってはいけないから、日頃から「意念の統制」とか、あるいは「心身の浄化」と申しておりますが、これについて十分理解できるまで質問をしてもらい、さらに「赤本」(脇長生口述「正しい健康・平和・繁栄への道」、日本スピリチュアリスト協会発行)を読んでもらいたいと思うのです。そうでないと、統一を実修したところで何の役にも立たないのです。

   私自身の指導体験をお話して脱線してしまいました。

   さて、宿便とか、黒便とか穢い話題を出しましたが、少し話を転じて見ましょう。とにかく、この健康管理などというのは朝飯前のことです。それより、頭の方、知能的なところに明らかなメリットが認められます。

   統一を実修すると頭の冴えがよくなる。これに対してお前自身はどうだと言われると、ちょっとくすぐったいところがあるのですがね。理論的に言って置きましょう。これについて体験的にも証拠があるのですが、あまりお話をしても自慢になってしまいますから割愛しておきましょう。

   統一をした翌日の朝は実に心身爽快で、何か生まれ変わったような状態になるわけです。こういうことについて質問したり、アンケートをとったことはないのですが、現在実修されておられる方にご体験があるかどうかをお聞きすれば手っ取り早いわけですが、しかし実際にその通りなのです。

   これが度重なっていくごとに自信がつきまして、なお心身の浄化とか、あるいは意念の統制をやらなければならないものだと理解しつつ向上・進歩して行くわけですね。ですから、やはり何と言っても修業が大切であり、同時に体験を積み重ねること、すなわち、統一というものは「修業」と言いましたが、一つの訓練であるということが言えるのです。これは統一を完成すべきものであるということではなく、訓練をするという行為が一つの人生への道、人生の道において私たちの三度のご飯と同じもの、このようにして死ぬまで、そしてそれ以後も続けて行くものなのですよ。

   よく巷間で霊能開発ということで宣伝しているところがあり、何カ月で卒業とか、何週間で云々とかを言っておりますが、私の信じておる精神統一は一生続けることなのです。ですから、そのためにこの協会および道場は必要なところであるという点から、皆さんの力で管理して頂きたい。また同時に、そういう道場であるためには、よい気持ちで親しい者同志が「助け合い運動」をやるくらいに、この会を、この道場をいろいろな面において利用してもらわなければいけないと、常々私は考えているわけです。

   とにかくどちらかと言うと、まずお互いの克己心の上に立って行うと、何か知らないが新しい考えが浮かんでくるのです。今日の一般の方がよく口にしているところの、独創心とか、オリジナル、あるいは、よいアイディアなどが、他の人の思いもそめないところの直感力、インスピレーションによって浮かぶべきはずなのであります。

   私は、こういう話ばかりを続けてまいりましたが、聞いている方が、統一というものは霊能発揮である、霊媒(者)になる一つの道であると考えていただいておればよいのですが、霊媒になる一つの方法などと考えておられるケースも中にはあります。そうした統一であろうと期待して、とんでもないことをお考えになる方もあろうかと思いますが、実はそういう面も一応は備わっていることでもあるからなのです。

   ということは、霊媒は別問題にして、霊能発揮ということの中に、いま申していることは全部含まれているのです。それでありますから、私が言っている霊能というものは、大変広範囲なものなのです。しかも、その霊能を霊媒として一つの職業とまでは申しませんが、こういう奉仕を伴う職業的なものに応用されていくことも一つでありましょう。しかし、私が皆さんに対してお話していることは、皆さんの持っていらっしゃる一能を発揮されながら、その方の使命達成を行う。言い換えれば、その使命達成に一能を含めて霊能を働かせるということなのです。これが私が言うところの精神統一の定義なのです。これで尽きてしまっているわけなのです。

   なかには、霊媒を好んで「やってみたい」とか、あるいは「いいものだ」などと考える人もありましょうが、そのような霊能によるところの霊媒というのは、おそらく劣等な霊媒といってよい類のもので、悪霊の働いている霊能みたいなものを発揮してる。それでも巷間では霊媒として受け入れられているのです。

   それでは真の優秀なる霊媒とはどういうものでありましょう。私の使命は霊媒だというようなことでしたら、「あなたは其処此処にいる霊媒みたいなものを立派な霊媒だと思ってはいけませんよ」と申し上げたい。今日の大多数の方が霊魂を知らないことから、ましてや自分自身が霊魂であるということの意味も知っておられないのです。その方の飛躍のために言葉を換えて言うならば、霊魂というものこそが一番必要なものである。その霊魂を立証するためにある霊媒、これこそが本当の霊媒の定義に当てはまるのです。

   霊媒というものはそのための使命達成をやらなければならない。したがって霊魂のあることの立証と、同時に霊界のあることを示すのが霊媒の第二の使命といってよいか、定義のなかに入れて置かなければなりません。第三は、その霊界と人間界との間に立って、向こうの世界とこちらの世界の交通を行うところの「機械」なのです。「機械」ということに意味があるのですよ。

   常日頃からお話し、また書いてもおりますが、今日の進歩的な世界にいる霊媒に、「あなたは『機械で』すよ」というと怒ると思うのですよ。「冗談ではありません。私自身には、神、仏、この祀られている神様が憑いているのだから、そうした私を『道具』とか『機械』と呼ぶとはなんですか」と怒ってしまう。しかし、いま指摘している三つの点が霊媒というものの定義に含まれる。霊媒というのはこうしたものなのです。

   以上のことをご承知の上で実修を希望なさる方は結構ですが、「今日の霊媒をみて羨ましい」「自分は心霊に興味を持っているから霊媒になれればよいな」という方にとってはどうでしょうね。「それならやめた」と言われる方があるかもしれない。あるいは「そんなことは夢にも思わなかった」と言われる方がいるかもしれませんが、以上のことが本当の霊媒の意義なり定義なのです。

   したがって、それを何かによって実証しなければなりませんから、相談を受けたい方があれば、自分は正しい行為をしていればよいわけです。霊の行為は低級霊によるものではいけない。いわゆる幽界の霊ではだめで、正しい回答をするのに相応しい相談相手になるのは、少なくとも霊界以上の霊の働きでなければならないからです。

   さて、そうなってくると、現在の多くの霊媒のやっていることでは、たまに当たることもあるでしょう。つまらない問題でも当てたなら当てたという気持ちには変わりありませんが、難しいことになるとなかなか当たりはしません。そういう場合を想定したならばよくわかるでしょう。「霊媒はそんなものではないと思ったのに」ということだろうと思います。そういう時にその方の背後を見ると合点が行くわけです。低級霊が働いているのですから。威張り抜いて、しかも生意気な霊だと、尋ねられたことならば何でもかんでも自信に満ちた態度で、「こうだ」「ああだ」とデタラメを言っている。こうしたことをざっと観察して本人を見てみると、本人までもいい加減が人である。本人の持っている心と同じレベルの霊魂が働くわけであるから、それに違いないということは皆さまもお分かりと思います。

   少なくとも、霊界以上の霊が憑いている方の場合には、その方の持っている知識は、どこまでも学問的な上にたっているはずですから、背後の霊魂もいうまでもなく、本人と同じ立場にたっております。この場合、間違いなく100%、あるいは100%近くまで当てることができます。けれども、その当てる優秀なる霊媒にも、心の変化とか、あるいは心の動揺があって、いわゆる感情的なものが大きくなったときは、間違いが多くなることは当然ありうるのです。ですから、100%ということが、90%、80%になるかも知れません。そういうのが霊媒ですから……。しかし、質問者の立場からすると100%的中してもらわなければ困るわけですね。

   心霊科学では、霊媒が正しい能力を発揮しているかどうかについて、「審神者(さにわ)」による審判の必要性を強調しております。

   「霊媒のあるところ、必ず審神者あり」。審神者なしの霊媒というものは何をしでかすかわからない。かつ、その人の不幸までも幸福なりと言うかも知れません。ですから、審神者抜きの霊媒は危険であるということを常に主張しているわけですが、私たちはそういう風な表現をとらずに、「審神者のいるところ必ず霊媒あり、霊媒のいるところ必ず審神者あり」と言い、審神者と霊媒とが両者一体にならなくてはならないということを申し上げているわけです。

   そういった意味から考えても、霊媒というものは不完全なものなのです。霊媒は不完全だという意味は、霊媒の役目を果たす機械が発達していないからということでもあり、その点においておそらく霊媒機ができれば、人間の霊媒は必要なくなる。いま英国で研究中ですが、いわゆる霊界のラジオあるいは霊界のテレビというものの完成は夢ではないと思うのです。

   けれども、今のところ人間霊媒的なものが必要なわけですから、その霊媒機を考案中の英国では、霊媒と心霊学者といわゆる技術者、理学・工学方面の学者、この三者が一体となって研究し、かつ完成を急いでいるようです。

   日本では、こういうことには取り合わないでしょうし、またそのような奇特な学者もいない。また、それに関与する霊媒もいない。その証拠に本当の霊能発揮、本当に優秀だと言えるような交霊現象をやってくれませんからね。このことは日本の国だけを例に取り上げているのですが、今更ながらお粗末に尽きるのです。

   世界的に言っても、本当の意味合いの霊界のあることを実証できる真の霊媒というものは、おそらく100人中10人であればいいのですが、5人ないし10人であろう。アメリカのカーリントンは100,人中10人とその著書に記していますが、ちょっと多めではないかと思いますが、そういうことであって欲しいと思います。

   これを考えても分かるように、立派な霊媒者はそう容易くは輩出するものではない。すなわち、私たちの多くは、いわゆる、心身浄化や意念の統制の不完全者であるということなのです。言葉を換えて言いますならば、それほどに私どもは日常的に唯物的な生活に浸っているため、唯物的な観念が私たちの観念となっているということです。世間は物質万能の世の中だということが言える訳ですから、無理もなかろうと思うのです。そういう意味合いから考えても、私たちはこのような時代に生まれてはいるが、やはり一方においては一能を持たされている。その一能を霊媒としてではないのですが、霊能力でやっていかなければならないということであるわけで、余程心して、意念の統制とか心身浄化をやってもらわなければ仕方がないのであります。

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