精神統一に必要な知識

脇長生

4.精神統一と意念の統制

   現在、自らの背後霊の整理、すなわち精神統一を実修されている方に対しては、「余程心して」と申しましたが、十分自戒して頂かねばならない。これをとくに強調しておきたいのです。また、これから統一をはじめようとしておられる方にも、今申した点について十分注意を払っていただきたいと思います。

   一体、精神統一を何にために実修するかということですが、私がいつも申し上げているとおり、精神を統一するということですから、悪いことではないということはお分かりのことと思います。私たちはどうかすると、精神が集中できない。統合失調症を指しているわけではありませんが、どうしても自分は精神統一できないという状態が実際にあるわけですね。たとえば、とにかく心が乱れるというか、心がばらばらになっている、そのときに統一しようという気持ちにしておかないと、考えがまとまらないとか、良い考えが浮かんでこないなどの事態が生じる。それを統一させるという意味があります。

   精神統一というのは、心の統一ということに当てはめて考えてもらえば可いですし、同時に「精神」というものには別の意味があるのですが、まあ「心」という意味合いで考えてもらってもよいでしょう。また、その心に「意念」という言葉を当てはめることがあります。

   しかし、厳密にはそれぞれ意味は違い、物事に理屈を以ってお考えになる方に対しては、ある場合には「心」と呼び、「精神」と呼び、あるいはわれわれは「意念の統制」と言っておりますとおり、その「意念」と区別しようとしているわけです。しかしながら、考え方によれば一つのものとしてみてもよいのとも言えるわけで、意味が違うことは一応承知していただきたいと思います。

   たとえば、「精神」という時には、すでに心が一つにまとまり、ある思想的なものができている場合を指しているわけです。「心」というのは、無統制で結局「乱れる」ということがあるように、てんでんばらばらの心が常態下にある。

   繰り返しますが、「精神」ということになると、もうちゃんと一定した思想的なものにまとまりがついているわけです。ですから、心の働きが一歩進んでいるということも言えるわけです。したがって、精神統一という言葉を使っているのですが、むしろ「意念の統制」とでも表現した方がよい場合もあるのです。

   浅野和三郎先生は、「精神統一というのは、一般に使われているから、そういう言葉を使用すれば早わかりするから……」と申されておられました。私たちが用いている「精神統一」という言葉は、一般に言うところの「坐禅」とか、あるいは「静坐する」とか、あるいは「神仏の前で祈願する」とか、あるいは心理学者のところでも精神は統一させなければいけないということで、心理的な精神統一をさせる心理学者がおりますね。こういう統一のほか、日本古来からの鎮魂帰神という方法がある。これも統一の一種です。このように、精神統一もいろいろなものがあり、それを実修する方が勝手な名称をつけて行っていると、浅野先生は指摘されています。

   とくに坐禅ということになると、仏教的なものであるわけですから、何々式などあったものではないけれども、同様のものが実際には存在するわけです。この他にいろいろな呼称がありますが、そのように、◯◯式があるということは、指導者自身のある一つのご体験から来たか、あるいはその方のお持ちになっている祈願的なものから発して来たのかわかりませんが、そうした何かをお持ちになっていることは確かなのです。

   人を統一させる上においての一つの方式というものですね。その方式に向かって、まあいろいろな術を使う。脇式とか、秋山式とか、「式」を使う。また別な名前で、すべて霊が働くから、霊的な精神統一とか、あるいは祈願式云々という名称もつけられることもあるでしょうが、大抵はその指導する人の名前をつけております。

   しかし、私たちが精神統一させる、心を統一させる場合、とくに意念をまとめるということについて、そのような個人の独断によってそれぞれ違うまとめ方をしてはいけないと言いたいのです。

   たとえば、仏教の場合には、一つにまとめられるにもかかわらず、何派があるというのは問題なので、何か各々の派の方の見方があるか、野心があるか、どちらかなのです。まあ、そういうことがいろいろな方式というもので区別させ、ついにはいま言ったように、いろいろな名前がつけられるようになった。しかし、結局は精神、心を統一させることなのだと主張している。それであれば、しからば一体どれが一番正しいかということが問題になるのではないかと思います。

   浅野先生も同様のことを申しておられた。このことについては、常々皆さんにお話しておりますから、詳しく述べる必要はないと思いますが、要するところは、「心を統一したいな」と思う。そういう場合には心が乱れているから統一したいと思う。また、「良い統一から良い考えを浮かばせたいな」というとき、それは心を働かせているわけですけれども、実は統一がなされていないからそういうことになってくる。これに対して、ある程度統一するとバッと答えがでるわけですね。それを世間では霊感とか、インスピレーションとか言うわけでしょう。けれども、その結果が正しいか、正しくないかは分かりませんね。おそらく勘違いということも生まれるであろうと思う。そういったように、統一するとか、心をまとめるとか、また霊感を働かせるといっても、その答えが正しからざるもののときは、そういう霊感は、そしてそういうインスピレーションは役に立たない。実際にデタラメだとも言えるものがある。

   そこで、私たちはどうしたら正しい統一ができ、また正しいといってよい、真の答が導かれるのであろうか。そういう時に、自分の心は唯一つの心からできていると大部分の人は考えているわけですが、実は、ある霊魂たちの心が集中されたものであると心霊科学的には言うことができるのです。

   この解明はすでに霊魂研究の領域に入っておりますが、いま言っているように、私たちの心は自分の心だと思っていますけれども、それがいろいろな意味合いの霊魂、これらの霊魂がまとまった、そしてそれらの霊魂の「心」がまとまって成立しているのです。結局は心の集計であると、こういうことになるわけです。これはまあ、精神というのではなしに、心の定義になるわけですね。

   心理学は人間を対象に色々と説明しますね。心も説明します。その場合に、その人にある心というのですから、これは簡単なのです。けれども、その人の心という場合に、人間というものは動物であるというところに共通点を求めるため、この心にも共通点があるだろうと考え、その心を集めてきて、そこで一つの原則を出そうとする。

   ところが、それがある範疇に全く当てはまらないものも出てくる。相反することすらあるのですね。たとえば、ここに一人の非行少年がいる。その場合に、この非行少年にいわゆる善行を行わせようとする。非行をなくすために、一人前の子どもに指導しようとする。指導所あるいは補導所ができておりますね。そこには心理学者が沢山いる。その心理学者は、「人間の心は人間についているものであるから、その人間の心の働きを集めて、そうしてその中から普遍妥当性みたいなものを引き出して、これで解決すればよい」と考えます。こういう意味合いで進歩してきた心理学でありますから、この非行少年に向かっての補導は、その心理学の結論で出たものを適用しようとします。しかし、善行への道を歩むよう導きましても、もとに戻ってくれない。いや表面上はよくなったようにみえて、さて、補導所から手放して父母に渡す。こういうのが順序なんでしょう。私は専門家ではありませんから……。

   しかし、結論的になると思いますが、「なに、補導所に行っている間だけは外に出たいものだから、おとなしくしている。そうすると、直ったように見えたので出所させてくれた」とか、また、入所している子どもが家が恋しくなったり、「このままでは家に帰してくれない」などと考えるときに、静かにしていると、「補導員はどうやら直ったらしいというので出してくれた」と告白している非行少年もおりますがね。いま言っているのは、心理学応用による非行少年の補導とその現状です。

   ところが、実はその非行をやるということは、いまも言ったように、人間の心で非行をやる。たとえば、泥棒をやろうという心の働きから具体的な人間の行動に移るのですから、人間の行動に移らないうちは未遂というわけです。心に思っただけでは、法律問題にはならない。しかし、心霊の問題として考えてみるならば、その心に思っていることも、実は何かやるという前提かもしれないが、それをいけないという思いも心を使っているのです。

   そこで、心理学では心は一つのものですけれど、心というものはある霊魂たちの集中である、集計であるといっているわけです。その中に殺してやろうとか、非行をやろうというある霊魂の心、そうした働きをしようという心を持つ霊魂が、その子どもなりの心の集計の中の一要素と言いますか、一分子と言いますか、何か一つが存在するときに行動に移るわけです。

   しかし、霊魂が彼または彼女に思わせる状態にさせていても、その影響は心の働きだけである。これも私は気をつけねばならないというのです。心理学はこの場合に、そのことがはっきり分かるときには「二重人格」と名付けます。しかし、その心が身体全体を使うのです。そこで心というものは、諸々の霊魂によって作られているということ、ここを考えなければなりませんよ、と申し上げているわけです。

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