精神統一に必要な知識

脇長生

7. 自主性と自由意思

  私たちは毎日の生活の中で、心が千々に乱れるとか、バラバラになるという状態など珍しくもなく過ごしております。このような時に何をしたら良いかということになります。その解決には、今の自分は、何かに依存しているわけでもなく、自分自身というもので生きております関係から、その「自分」というものを考える必要があります。そこで、自から自主的に「乱れた心を集中させよう」とか、また、あくまでも霊魂研究の結果を支えとして、「自らの心を強くしてまとめよう」とか、あるいは乱れそうになっているところを「完全なところにもって行こう」という気持ちにさせることになりますが、それが「反省をする」ということなのです。

  その反省をする能力を人間は与えられている。一方、動物には反省はないのです。広義でいう、経験を通して生きる術や技術を学んでいく等のこととは違うことなのです。人間と動物とは一緒であるという方がおられますが、私はその人に「動物的ではあるが、人間は人間ですよ。形においても違っている。これでお考えください」とお話しております。

  その人間のみに具わった反省。これは何かというと、神は人間に自主的にやるべきであるということを暗示しているというか、あるいは自主性を持たせていると言えば、分りやすいかもしれません。それは人間の心の奥に先天的に具わっている。ですから、私たちはまずこの意義を考えなければならない。

  そこで、反省を抜きにした人間は、どうしても、一番波長の合わせやすい悪邪霊というか、未発達の霊との関係を持ってしまうのです。ですから、私たちはそういう好ましくない霊との関係を築かないようにするために、どのような現状にあるかを自主的に反省し、自主的に自覚して、そして意念の統制を実施しなさいと申し上げている。これで初めて意念の統制の重要性が明らかになってくるわけです。

  「意念」とは、「念」ということでもあり、自分の心が外部に発散するすべてを含めて表現しているので、いろいろな意味があるのです。したがって、心というものは一つだということで、心の構成でもっとも強い意味合いを考えても結構でしょう。そこで意念の統制によって、自主的な反省と自覚から精神統一への道をたどらなければならないわけで、それ以外の方法はないのです。

  「道」というものは、人によって遠い、近いがある。その違いはどのようなところにあるかというと。意念の「統制」によって近く、「不統制」によって遠くなる。すなわち、自ら有している反省力によって、言い換えれば、自主的に反省することによって、意念の統制をして頂かなければなりません。それにもかかわらず、日常の生活において、これを忘れてしまいがちなのです。同様に統一を実修している人にも、その点でそれぞれに差が出てきているのではないかと思うのです。

  ある人は「精神統一の実修日であるから、まず出席することが、あるいは出席してさえおけば、それでいい」。また、「脇はやたらに難しいことを言っているが、それは彼の真剣さ故のことであり、彼のところで実修していれば、いつかこちらも真剣になりやしないか」、などと考えて、統一の日にやって来られる。いろいろなタイプの方がおられますよ。いわゆる惰性、またはずるい考えですね。けれども、霊魂を働かせるには、ずるい、あるいは生ぬるいことは全く通用しないのです。霊というものは、そして霊の働きというものは、全く厳格というか、絶対のものというか、手段、方法などは全く問題にはしてはいません。

  ちょっと不統制な心を持つ。ちょっとあいまいな心を持つ。すると必ずや霊的な関係で、それまで背後の霊が守護霊であったものが瞬間的に入れ替わって邪霊の支配へと変わる。「ちょっと」というごく些細な心の動きでも、微細なものであっても、それまでいくら守護霊が働いてくれていたとしても、その気持ちが波長の関係によって、好ましくない霊との道交を起こさせてしまうのです。それにもかかわらず、「統一を実修さえしていたらば、これくらいのことであれば、守護霊さんは許してくれるでしょう。守護霊さんとは馴染みがあるのだから、これくらいは見逃してくれるでしょう」と自分に都合よく思っている人が残念ながら必ずいるのです。

  人間とは全く身勝手なものでありまして、その次に良いことがあると、「やはり守護霊さんが守ってくれた」と。次の日にドカンととんでもないことになって困った時には、「はてな、守護霊さんはどこに行ったのだろう」と考えるが、追っかけるには影もないのだからしょうがありません。

  「なに、脇が言う守護霊は、うそなんだ」と言うかもわからない。守護霊を見た方は少ないのですから、守護霊などはいないと開き直る方がおられるかも知れません。

  しかし、私たち人間は、表面(現象の世界)とは違って、霊的な方面では密な関係が保たれているということを、そして厳しいものであると、私は折りに触れて確認しております。これに対して、今日の自由というものを無条件で尊重し、かつ自由に生きて、自由を振り回している方から言わせると、「霊魂」などということを聞くと、頭痛持ちになると思うのですよ。頭痛持ちになるのはたまらないから飛び出せということにならないとも限りません。

  この自由は、その人に与えられたものであるという解釈の立場に立っておりますから、必ず責任を伴っているのです。神霊主義では与えられた自由は、幸福への道を歩ませる自由であるが、「責任があるぞ」というのです。ですから責任を持たない方が不幸になるというのは当然なのです。今日の方は、責任ということを言っても全然耳に入らない。神霊主義を勉強していると、人間は生まれた時から責務があるぞというところへ上手く持って行って、「なるほど。真の幸福は自由で行ける」と理解させることができる。

  宗教にも、あるいは救う力があるという。そんな考えを真に受けて幸せになろうとなさらなくとも、ご自分の自由な考えで幸福になれるのです。宗教を信じている方にもいろいろなお考えがあるでしょう。しかし、それは私に言わせたら独断なのです。

  人間とは自由なるものである。自由意思をもったものである。それでいいのです。けれども、その人が持つ自由意思というものは心の働きである。その心はいろいろな霊魂が集合してつくっているのではないですか。宗教の言っていることにはこの説明が抜けているというより、その根本が理解されずに、骨抜きになってしまっている。拝んでいたならばご利益があるぞ、神を認めていたのであればいいのだと。そして神を認め、「平静」な心の時に静かな気持ちで神を拝んだらいい、と言われれば、拝もうという気持ちにもなる。ところが、その心の中に悪霊がいたならば拝むようなことはしませんよ。

  自由をまとめるというか、集積するその10の霊魂の心。全部の中心となる心が、そのときの本人の心なのです。けれども、そのときには、いろいろな霊魂が含まれている。日本の踊りの中に、善玉。悪玉というものがありますが、その通りなのです。われわれの心の中には善玉と悪玉がいつも騒動をやっている。善玉、悪玉がとやかく言っているときには心が乱れている。私が指摘するバラバラになった心です。邪悪霊、未発達の霊魂、いや因縁霊がその中に含まれているときには、その拝む気持ちは邪魔されるのですよ。

  いまの世界の戦争をごらんなさい。いくら祈願を込め、平和を念じても当事国が宗教国なのです。一方において、祈っているのですよ。この矛盾を皆さんはどうお考えになるのでしょう。いかに今日の宗教が、いわゆる教会だけの宗教かということなのです。いかに無力であるか、唯物的にだまされているということが言えるのですよ。これは世界だけの問題ではないのです。皆さんならびに皆さんの一家を考え、皆さんの夫婦間を考える。一家の延長が一国であり、一国の延長が世界になってきます。

  私たちが希望し、求めている万国の平和、それが来ない。それはお互いの自らへの反省、夫婦間の反省、一家の反省というものが如何に足らないものか、いかにその中に平和を乱すものがあるのかということを考えなければなりません。他人事ではないのですよ。

  けれども、私たちには生まれたときから守護霊が働いてくれて、平和と繁栄と健康が約束されている。私たちはそれを目標として、いかにすればよいかというときに、心の分析から、自主的な統一をやるより他はありませんということになります。それでありますから、心霊の書物をご覧になると、神霊主義的な精神統一をやらなければならないという気持ちにおなりになると思う。これも正しいのです。

  さて、その精神統一というものは、ただの精神統一ではない。人間の心をつくっているもの、人格をつくっているもの、個性をつくっているもの、人間そのものをつくっているものは、先ほど言いましたところの総合計の霊魂が人間をつくっている。そこには悪霊(未発達の霊)もいる。

  繰り返しますが、こういうことを早合点してしまい、困った子どもの性格、また自分たちも物事がうまく行かない場合、霊に原因があるからだといわれます。ここへ持ってきて、「ああそうか。脇の言うことを聞くというと、悪い霊を除けば酒を飲まなくなる。たばこが吸えなくなる。非行がなくなる。やはり非行をやらせている未発達の霊魂、あるいはあれやこれやとさせるところの悪霊、邪霊の働きだ」と。このように短絡的に考えられては困るのですよ。私たちの心は霊魂たちの総合であるということを考えなければなりません。その総合にしているものは、私たち自身が生きているという、その働きなのですよ。その中には思索するということも入っています。

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